人の性質を決める要素の優先順位


学習が蓄積される流れや、現在の日本の社会を考えると、身に付いている学習の情報量は、次のような順番になっていると思います。
- 「家庭での経験」に基づく学習
- 「日本社会の常識(特に経済社会・教育社会)」に基づく学習
- 「個人の経験」に基づく学習
- 「過去から継承され日本に根付いた文化」に基づく学習
本来ならば、4番目の「日本の文化」が1~2番目に来そうなものなのですが、世代間の文化的つながりの破断によって、消え行く運命にあると考えています。
また、正しい学問は、我々を古い誤った認識から真実へと導いてくれますが、多くの学問は現代の価値観による影響を大きく受けていますので、その価値観に縛られた方向に誤誘導してしまう恐れがあります。
新しい学問によっては、
- 古来から精錬されながら蓄積されてきた適切な知識や習慣の部分部分を、「最新科学」という剣によって切り捨てて
- その傷口を、何の役にも立たない科学っぽい説明で、秩序無く塗り固めていっている
という面があります。
少し、話の筋が見えなくなってしまいました。
最後に、ここで、書きたかったことをまとめます。
- 人のほとんどの反応は、学習によって生じる
- その学習は、個人的なものというよりは、社会や家庭によって学習させられ身に付けた反応がほとんどである
ということです。
そして、心を苦しめる重大な思い込み で、次のように説明しました。
人から好かれたり、人に嫌われたりするのは、
- その人の人格や心に問題があるからではない
- 「学習によって身に付けた反応 が好きか嫌いか」ということに過ぎない
つまり、何らかの課題を抱えた人がいるとき、その人に責任を押し付けて終わらせたり、その責任を負わすことができる他の人を探し出してつるし上げたり、といったこれまでの対応は、ありえないということが理解してもらえると思います。
課題を抱えたり苦しんだりしている人を取り巻く人々、例えば、
- 家庭の人(特に、親)
- 近所の人々
- 職場の人々
- 情報を発信する学問会
- 情報を撒き散らすマスコミ
などは、「自分にも責任がある」という当事者意識のもとに、解決する方法を考える義務があるのだと思います。