もともと人は、性善でも性悪でもない、ただ普通の人間

「人間が生まれてきたときは、正義に支配されているか、それとも悪に支配されているか?」といった問題意識による性善説・性悪説という議論があります。
これに対し、私は、性善説的な予想をしていたのですが、現在は、違った結論にたどり着きました。
それは、表題にも示した通り
- もともと人は、性善でも性悪でもない、ただ普通の人間である
ということです。
この「ただの普通の人間」が、どのような理由から、
- 性善説的な行動をとったり、性悪説的な行動をとったりするのか?
- または、その何れかの傾向性を強めてしまうのか?
ということに問題意識を向けなければなりません。
ここには、次の2つが大きく影響していると考えています。
- 身に着けている心の苦しさへの対処方法
- 人に対する愛着感情
過ちを犯してしまったときの、性善説的な行動とは?
過ちを犯さないに越したことはないのですが、万が一人が過ちを犯してしまったとき、期待される性善説的な行動は次のような流れになるのではないでしょうか。
- 過ちを認め、自ら告白する
- 罰を受ける
これは、大人に対して考えると、もっともなことだと思われますが、子供に対して考えたとき、子供が「正義」と照らし合わせた結果として、このような行動を自然にとるとは考えにくいと思います。
そこで、
- 子供を、「正義」にのっとった行動をとるような大人に育てる
ということが、子育てやしつけのテーマのひとつとして組み込まれたりもします。
では、どのようにすれば、子供をそのような大人に育てることができるのでしょうか?
現代行われることの多い「性善説的な行動」を実現する方法
さまざまな影響を得た大人のことを考えるのは、少し複雑になるので、ここでは、子供について考えてみます。(大人のことは、また、別のところで詳しく説明します。)
子供が何か過ちを犯してしまったとします。
これに対して、一般的に大人(特に親)は、、前に書い性善説的な行動を、子供にさせようとすることが多いと思います。
- 過ちを認めさせ、自ら告白させる
- 自ら罪を詫びさせる
- 罰を受けさせる
これは、過ちを犯した子供の心には悪があり、心に住み着いた悪を改心させ退治することで、子供を善に導こうとしています。
子供が、また、過ちを犯してしまえば、この対処を繰り返されます。
- 「悪いことをすれば罰を受けないといけないから、人は善であらなければならない」というように『善』に関する考え方を刷り込む
- また、悪いことをすれば『善』の感覚に則って行動しなければならないと刷り込む
このことにより、正義を身につけた大人に育てることができると考えているところがあります。
しかし、この説明通りの対処では、悪の心を改心させようとする大人の気持ちばかりが前面に出ていて、過ちを犯してしまった子供の気持ちは、考慮されていません。
「性善説的な行動」を自然に実現する方法
次に、心 も考慮して説明します。
- 子供は、そんなことになるとは思わずに過ちを犯してしまいます
- 自分がやったことによって至ってしまった結果に、子供はとても苦しい気持ちになります
- 心の中では「悪いことをしてしまった」とたくさん反省もしています。
- 更に、そんな苦しさをひとりきりで抱えていると、心はますます苦しくなります
- そんな苦しい気持ちから、誰かに助けてもらいたいと思います
- 自分の過ちを告白するのはとても勇気が要ります。しかし、一人きりで、その事態を抱え込むのもとても苦しいことです。
ここで、告白する勇気が出なければ、自動的に「過ちを犯しても、それを内緒にしてしまう悪いやつ」になってしまいます。
そして、周りの大人たちも、そんな子供の気持ちを理解しようともせずに、悪い子供だというレッテルを貼ってしまいがちです。
では、どうしたら、自然に、自分の過ちを告白する勇気が出るのでしょうか?
それには、「告白すれば自分にも良いことが起こる」ということが必要なのです。
過ちを犯した子供にとって良いこととは何なのでしょう?
自ら過ちを告白する動機になることは、次の5つだろうと考えています。
- 過ちを犯してしまったときの気持ちを受け止めて抱きしめてもらえること
「そんなつもりはなかったのに、そんなことになってビックリしたね・・、つらかったね・・・」 - 過ちを犯した自分を責めて、苦しい気持ちを抱きしめてもらえること
「ずっと、自分を責めてたんじゃない?つらかったね・・・」 - そのことを言えずに苦しかった気持ちを抱きしめてもらえること
「そんな気持ちで、一人っきりでいるの、つらかったでしょ?」 - 過ちを告白する勇気を認めてもらえること
「そんな誰にも言えなかった話、話してくれるのは、すごく勇気がいったよね・・・」 - 心から反省し、きちんと詫びれば、過ちは許してもらえること
この中の5番目の対応を急かさなくても、この 1 ~ 4 の子供の気持ちをしっかり受け止めてあげれば、子供の気持ちは救われて、自然に5の対応をする方向に流れていきます。
そのためには、「苦しい気持ちになったとき、誰かに抱きしめてもらえれば、心は楽になる」ということを、子供のうちに感覚として身に着けておくことが大切なのです。
その基本の『き』になるのが、前項の『不快を浄化する二次的体験と、不快を強化する二次的体験』で説明したことや、『親に与えられた最大の権利 (サイト名 『 子育ての回想と試行錯誤と解釈 』 )』で説明したことなのです。
子供の頃に、このような経験を繰り返し、1 ~ 5 の一連の予感が身につければ、人は過ちを犯したとしても、自然に性善説的な行動をするようになっていくのだと考えています。