正しい解釈のために

私たちは、快・不快の感覚をうまく排出できなくてモヤモヤしてしまっているとき、次のような経緯をたどります。
- まず、快・不快の感覚を『感情』として解釈し
- 次に、その感情が引き起こされた原因と考えられる候補を探し出し
- 自分が理解できるよう(自分の世界観に組み込めるよう)に解釈しようとする
このとき原因を探るべき方向性は3つあります。
- 自分の心
- 他人の心
- 自分が置かれている環境
(随分前ですが、この方向性をチェックするテストを作りました。遊びみたいなものですが、よろしかったらどうぞ・・・ –> 01. 心理テスト《悩み解決へのヒント》 )
簡単にまとめると、
- 環境的な問題(社会問題・経済問題・・・・)
- 心の問題
といった方向に解決を求めて、さまざまな解釈を繰り広げます。
少し話は変わります。
専門家や学者などが、これらの問題にアプローチするときは、さまざまな角度から分類し、名称を付け、解釈が付け加えられます。
(これを科学的だと正当化するために、統計という手法が用いられます。その結果、何かが社会問題化されたり、それに対してマクロ的な対策がとられたりすることがありますが、個々の問題の個別の解決には、あまりつながりません。)
現在の世の中に、非常に多くの症状名や問題行動名が溢れ返ってしまっていますが、それも、「心のさまざまな症状や状態を細かく分類し解釈を付け加える」といった手法が繰り返された結果陥った状況です。
「分類して解釈する」というやり方は、それはそれで一般的な手法です。その結果、知識が、学問の世界や社会に蓄積していきます。これを「英知の蓄積」と言える面もあります。
しかし、そのように蓄積された
- 「学問的に確立されている」と思われていること
- その社会において常識となっていること
を、私たちが、自分の心を理解しようとするときに、あたかも真実であるかのごとく鵜呑みにし、考えの裏づけとして用いるのは問題です。
なぜならば、自分の心を説明できるのは、自分だけです。
一般論なんかで説明できるはずはないからです。
(学問に意味がないといっているのではありません。個人の心を個別に理解するためのアプローチと、学問的なアプローチは違うということです。)
コペルニクスが地動説を唱えたとき、天動説を信じる当時の人々は、コペルニクスを馬鹿にしたことでしょう。
それを歴史などの授業で学んだ私たちは、当時の人たちのことを「なぜ、真実を受け入れることができなかったんだろう」と不思議に思い、そして、「現代社会は真実で満たされている」と思い雰囲気の中、当時の人たちを小バカにした気持ちにもなっただろうと思います。
しかし、現代の社会でも、同じようなことも起こっているのです。
整理すると、
- 社会には、自分自身の心の正しい解釈を妨げる誤った情報が溢れかえっている
- 社会には、自分自身の心の正しい解釈を妨げる専門的な情報が溢れかえっている
- よって、その社会で生きている自分の中にも、自分自身の心の正しい解釈を妨げる情報が溢れかえっている
ということです。
更に、そこに、成長する中で自分自身の中に次第に根付いていった
- 幼児のときの幼稚な解釈
- 親の誤ったしつけ(特に、感情への対処方法)
といったことが加わり、正しい解釈を妨げる包囲網が確立しています。
このサイトや、ピュアハート・カウンセリング、子育ての回想と試行錯誤と解釈、読むカウンセリング で色々と説明していますが、やろうとしている事は簡単に書くと、正しい解釈を妨げる包囲網を崩そうとしています。それだけのことです。
(中でも、ピュアハート・カウンセリングの心理百科事典 と 症状のもう一つの説明 では、そこに力点を置いて説明しています。)
心を考えるときの基礎的な考え方と、常識にとらわれない解釈をご紹介することで、それらを見て下さった方々が、
- 自分自身が理解できる言葉で
- 自分にしか分からない自分自身の情報(主に、子供の頃の経験)を裏づけとして
- 自分自身に優しい気持ちで
ご自身の心を理解し、少しでも気持ちを楽になるお役に立てることを願っています。