心と学習の関係

【基礎の解説】の 学習の蓄積について で説明した図を、りんごの木に例えてみます。
根っこや根元の部分は、生まれてから幼児期の学習によって形成されています。
りんごの木は、それらを土台にして、さまざまな新しい学習を養分として吸収しながら幹や枝・葉を伸ばしていきます。
ここでのポイントは、『りんごの木は、根っこや根元の部分が無かったら、幹や枝葉は伸びないし、葉も茂らないし、りんごの実もならない』のとと同じように、『幼児期の学習が無ければ、その上に積み重なる学習も無い』、言い換えれば、『幼児期の学習が異なれば、同じ経験をしたとしても、その上に積み重なる学習も、また、違ったものになる』ということです。
人は、
- 人は、みんな同じ人間だ
- 人それぞれの個性は、人が生まれながらにして持っているものだ
と思い込んでいることころがあります。
ですから、人に『心理的な問題』や『行動的な問題』に気づくと、その人という存在そのものに原因があるような錯覚に陥ってしまい、その人の存在そのもの(他人だけでなく、自分自身も)を責めてしまうところがあるのです。

しかし、人の性質は、人の性質を決める要素の優先順位 でも説明したように、後天的な学習による部分が大きいと考えています。
(特に、心理的な問題・行動的な問題に関わる部分は、主に後天的学習が関係していると考えています。)

これらのことから、人の心理や行動は、そのときの目の前の状況だけをいくら詳しく調べても理解することはできないと考えます。
本当に真実を理解したければ、その根っこにある幼児期の学習(幼児体験)を含めて知ろうとしなければならないのです。