催眠療法で目くらましになるもの

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催眠療法で、過去の場面が想起されたとき、カウンセラーも相談者も、「こんな場面に遭遇していたら、今の心の苦しさにつながっても不思議ではない・・・」と納得してしまいがちになるところがあります。(特に、相談者はそうです。)

でも、その出来事は、現在の心の苦しさの原因ではありません。

出来事は、催眠療法をイメージして分類すると、次の4通りになります。

  • その出来事に登場人物がいた AND その時、自分にできることがあった
  • その出来事に登場人物がいた AND その時、自分にできることがなかった
  • その出来事に登場人物がいない AND その時、自分にできることがあった
  • その出来事に登場人物がいない AND その時、自分にできることがなかった

  • 自分に何かをした相手に対して言いたいことがあれば言ってみる
  • それを見ていた誰かに言いたいことがあれば言ってみる
  • やり残したことがあれば、やってみる
  • 何も無かったら、そのときの感情を感じて吐き出してみる

 

それぞれの場面においての感情や気持ちを吐き出すことができれば、気持ちはスッキリとし、その場面への囚われは解消します。

でも、ちょっと、考えてみて下さい。

  • これって、催眠療法だからできたことなのでしょうか!?
  • 催眠療法でなければ、できないことなのでしょうか??

 

 

答えは、No です。

 

催眠の中で、そのイメージの中の相手に何かを言ったからって、実際に、その場面に戻って、実在する相手に言ったわけではありません。

気持ちを叫んだからといって、実際は、カウンセリングルームで叫んだだけです。

そのくらいのことなら、当時も、浜辺で夕日に向かってやったかもしれません。

でも、それを催眠療法では、多くの場合、「トラウマが解消した」という表現も使える状態になります。

 

 

それは、なぜでしょう?

 

 

実は、ここまでの説明で省略したことがあります。

催眠療法中、カウンセラーは、「相談者の感情の言葉を誘い出し、それを受容する」ということを何度も何度も繰り返します。

そして、感情を表現し受容するという一連の流れを作っていきます。

一旦、その流れができてしまえば、後は、相談者自身が「自分が受容して欲しかったこと」を自ら語り、そして、「自分の言葉で受容する」という作業を、納得がいくまで繰り返します。

 

少し、話がぼやけたので、もう一度問い直します。

どうして、催眠療法では、なぜ、「トラウマが解消した」という表現も使える状態になるのでしょう?

 

それは、催眠療法では、「自分の気持ちに寄り添ってくれる人がそばにいた」ということです。

 

 

どうです?

本当の答えの入り口が見えたような気がしませんか?

 

 

自分の気持ちに寄り添ってくれる人が、そばにいなかった。

そばにいた人が、そうしてくれなかった。

当時の自分には、そんな事情があった。

そして、それが、何よりもつらかった。

 

 

 

当時、身近な大人(特に、両親)が、カウンセラーがしたように、してくれていたら・・・。

親には、カウンセラーは使えない『ギュッと抱きしめる』という最強の武器も使えるのですから・・・。

 

 

これが、つらかった出来事 という 目くらまし の向こう側にある 真実 です。

現代の人々は、社会に溢れる、余計な知識 や 出来事の評価 などに目をくらまされて、その先に真実があることを、想像すらできなくさせられてしまっているのです。

 

 

ここで説明したことの意味は、催眠療法の中で、「そんな当時の気持ちを体感し、自分が自分自身をしっかりと抱きしめる」という経験をすれば、理解できると思います。

(催眠療法も大事ですが、そのカウンセラーが感情を受容できるかどうかの方がより重要です。受容をしっかりしてくれるカウンセラーであれば、催眠療法は不要だとさえ言えます。なぜなら、普通の関わりが、催眠療法みたいなものなのですから・・・。逆に、受容が苦手なカウンセラーの催眠療法を受けると、気持ちが楽にならずに、嫌な記憶を鮮明に思い出して、余計につらくなってしまう恐れもあります。)

 

 

 

フロイトの原光景

フロイトの精神分析では、「原光景」というキーワードが出てきます。現在、精神分析の世界で、それをどのように解釈されているのかは調べていませんが、私の記憶では、「幼児期に両親の性交渉の場面を目撃したときの光景」となっています。

でも、それは、『原』光景なのでしょうか?

それは、トラウマの一つでしかないような気がしています。

なぜ、トラウマになったのは?

それは、次のように説明できると考えています。

  • 幼児が理解できない情景を見て不安な気持ちになった。
  • しかし、不安な気持ちになったときに自分を抱きしめてくれるはずの父親と母親の両方が、不安の原因を創り出す当事者であった
  • そのために、不安な気持ちを一人で我慢するしかなかった
  • その結果、その光景がトラウマとして記憶に残った

 

フロイトの場合は、原光景以前に、「実は、両親から抱きしめてもらえるような状況ではなかったのではないか?」と想像しています。

ですが、「原光景」にとらわれれば、それが及ぼす影響ばかりを想像することになってしまい、本当の気持ちへ向かう道は絶たれてしまいます。

 

上図でフタをとったときにはじめに浮かび上がってくる出来事を『目くらまし』と表現しました。

フロイトは、その『目くらまし』に引っかかってしまったと言うことができると思います。

 

ということで、このページで説明したことをフロイト的な名前をつけてみます。(遊びです)

  • 根本原因となった誤った学習   : 原誤学習
  • 好ましい学習            : 原正学習
  • 誤った学習の原因となった事情 :原事情

 

あんまりピンときませんね・・・。

 

「原光景」を含めて他の心理用語なんかも、そんなもんじゃないですか?

 

名称や定義にとらわれず、こだわらずに、それぞれの人の事情と気持ちを、流れに沿って自然にたどっていけば、今まで理解できなかった自分や他人の心を、理解してあげられるようになります。もともとは、特殊な知識など何も要らないのです。(今の世の中は、習慣・常識・知識・情報が混乱しています。それらを鵜呑みにすると、理解は旨く進みません・・・・)

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