心の苦しさと原因の関係

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悩みの背景

人は、前ページの「心と学習の関係」で説明したように、人それぞれ異なる学習の歴史をもっています。

ですから、付ける果実は、人それぞれ違っています。

 

しかし、「社会の常識」といった曇りガラスのおかげで、他人からだけでなく自分自身からも、自分になる果実が見え難くなってしまっています。また、逆に、他人になる果実も見え難くなってしまっています。

 

 

その結果、「みんなは、やがて同じ木の実を付ける、同じ木だ」と信じているところがあります。

 

 

多くの人がそういう意識でいますから、ある木に「みかんの果実ができた!」なんてことになれば、大騒ぎになってしまいます。

  • 「私に、みかんの実ができてしまった!?」
  • 「あの人に、みかんの実ができている!?」

 

 

 

「心の苦しさ」の原因を追究する方向性

さて、問題を見つけてしまった以上、その原因を探って、

  • みかんの実を摘み取って除去したり
  • りんごの実がなるように木を品種改良したり

して解決し、「みんなと同じ、りんごの木に戻さなければならない」という意識が働いてしまいます。

 

一般的な原因追求は次の4つに分類できます。

  1. 自分を責める(心 と 症状、問題行動、状態)
  2. 出来事を責める(過去の出来事、現在の出来事、未来の出来事)
  3. 他人を責める
  4. 環境を責める

 

 

しかし、そうやって考えた原因は、的外れであることが多いです。

次の問いを考えてみてください。

 

  • 「もし、心が苦しくないとしたら、「今まで原因だと思ってきたこと」を、他の何かの原因だと考えますか?」

 

少し分かりにくい質問ですが、「苦しさが解消して、原因だけ残ってしまった」と考えてみてください。

 

「苦しいから原因を考えるんじゃないか!?」と反論されるかもしれません。

 

でも、もし、悲しさや辛さなどの感情を解消して、簡単に楽になる方法があったとしたら、どうしますか?

  • それでも、先に原因を考えますか?
  • それとも、まず、気持ちを楽にしますか?

 

もし、「原因を考える」という方を選んだとしたら、

  • 原因を考えているのは、何のためですか?
    • 苦しさを解決するため?
    • それとも、同じ苦しさを、二度と味合わないため?

 

何か感じていただけましたか?

 

実は、「心の苦しさ」は、その人の解釈次第で、何とでも結びついてしまう『引っつき虫』のような性質があるのです。

 

次のページで少し説明している恋愛依存は、この状態の典型的な例です。

恋愛依存 (サイト:ピュアハート・カウンセリング))

 

補足 : 真の原因

人生に重くのしかかるような心の苦しさの原因は、心が苦しさを感じた都度、楽にする方法を身につけられなかったことにあります。『あなたにもある心を回復する機能』の関連する説明を引用しておきます。

I 苦しさを解決する

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1 苦しさの所在
苦しさの原因は過去にあり、過去は変えられないからと、心の苦しみの解決を諦める人もいます。
例えば、10年前の出来事を思えば、その諦めも納得感があるかもしれません。しかし、それがついさっき起こったことだとしても、構造的には同じなのです。つまり、さっきの出来事は10年前のものと比べれば随分新しいかもしれませんが、結局は過去の出来事によって、今、つらい気持ちになっているという構造に違いはないのです。ですから、それによって、苦しさを感じている今の心を、今現在の取り組みによって、穏やかな状態へと回復するということは、出来事の新旧にかかわらず、同じことなのです。(図19)
事実を変えなくても、気持ちを回復することはできます。
そして、回復すべき気持ちは、今ここに存在している自分の心の中にしか存在しないのです。(出来事の否定(P114)を参照)
過去の記憶には、二度と思い出したくないようなこともあると思います。そして、心の苦しさを解決するために、そのような記憶を無理に思い出す必要はないのです。思い出すべきことは、その出来事のもっと前から忘れてしまっている『心を回復する機能』、つまり、素直な気持ちの話し方泣き方なのです。

2 心を回復する機能
何かつらいことがあって、心の苦しさを解決するために、苦しくなった心を他のもので埋めようとしたり、苦しさを覆い隠そうとしたりしても、なかなか上手くはいきません。(図20)
しかし、そのように努力しながら、友達と会ったり、本を読んだり、気分転換をしたり、いろいろなことをして過ごしているうちに、次第に苦しさから抜け出していくことも多いと思います。
そんなとき、何が心の回復に有効であったのかを明確に認識できていることは少ないので、『時間が解決した』という理解をすることも多いのですが、心の回復に効くポイントを外していると、ただ時に任せていただけでは、なかなか心は回復しないのです。
そのポイントは、次のような親子のやり取りに集約されています。

公園で母親から離れて友達と遊んでいた小さな子供が、滑り台から足を踏み外して転げ落ちて、「二度と滑り台なんかで遊ばない!」と泣きながら、母親のところへ戻ってきました。母親がその子を抱き上げて、「痛かったね」、「ビックリしたね」、「怖かったね」とか、痛い部分やそのときの様子を聞いてあげながら、「よしよし……」と言ってあやしたり、痛がっているところを手で擦ってあげたりします。はじめのうちは大泣きしていたその子は、次第に泣き止み、最後には、お母さんから離れて、また友達のいる滑り台へと戻って行きました。

小さな子供は、このようなかかわりの中で、心の不快感を排出し安心感で置き換えるということをしているのです。そして、大人になってからも、やり方は変わっても基本的な原理は同じなのです。
この例で、子供が泣きながら戻ってきたときに、抱き上げることをせずに、落ちた原因を分析し、落ちないように指導しても、気持ちを楽にすることにはつながりません。また、滑り台を怖がらずにみんなと遊べるようにしたいと思い、「大丈夫、怖くないよ」と滑り台で遊ばせようとすると、逆に、不安は大きくなり、滑り台恐怖症のような反応をするようにしてしまいます。
大人になった私たちも、自分が不快な気持ちになったとき、このような意味合いのことができれば、課題を解決する前に、心の苦しさは解消するのです。この不快感を排出して安心感で置き換える行動によって、苦しさを解消する心の働きを『心を回復する機能』と呼ぶことにします(図21 )。『心を回復する機能』は、全ての人に等しく備わっている機能だと思います。そして、心に苦しみを抱えたままにするかしないかは、

 

  • その機能を知っているか・知らないか
  • 使えたか・使えなかったか
  • 使うか・使わないか

 

の違いでしかないのです。

不快感はその経緯などによって様々な意味が付け加えられて、悲しさ、寂しさ、つらさ、苦しさ……というように情緒的な言葉で表現されますが、この感情の情緒的な表現が、思考を複雑化させ、心を混乱させる原因となるところがあります。
赤ちゃんの感情は、快・不快という2つの言葉で説明されることが多いのですが、不快に対処し回復させることだけを考えるなら、大人も同じでいいのだろうと考えています。また、そのための行動も、赤ちゃんと同じように、泣くか笑うかだけで十分なのだろうと思います。
感情を細かく分けて理解しなくても、心の苦しさを解消するためには、「快・不快」、或いは、「良い感じ・悪い感じ」程度の区別で良いのです。

この感情の排出に、誰か他の人に温かい雰囲気で立ち会ってもらえれば、不快の排出だけに留まらず安心感の充足も合わせて行なわれ、心は浄化されます。
この心の浄化を活用できるようになれば、これから先どんなことがあっても、その都度、自分の気持ちを穏やかな状態へと回復しながら生きていけるようになるのです。
これは、自分ひとりだけではできないことです。ですが、そのための特殊な能力を持つ人に、話を聴いてもらわなければ、それが実現できないということではありません。

言葉は悪いかもしれませんが、その都度、近くにいる手近な人を、自分のこうした聞き役に仕立て上げれば良いのです。

『あなたにもある心を回復する機能』 苦しさを解決する(P.139-143) より

 

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